「ゆりりんの森から」~海岸林再生と市民活動~

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02_閖上海岸(ゆりあげ浜)

<はじめに>
東日本大震災という類まれな災害に見舞われたわたしたちは、この大きな災害の痛みを復興のためのエネルギーに変える知恵と勇気を持たなければならない。海岸林再生という歴史的課題を与えられたわたしたち・ゆりりん愛護会は、これまでにも増して海岸に生きるものたちの力を結集し、それを地域と被災者のための再生に向けなければなら
ない。マツ苗を塩害や砂嵐から守る海浜植物の存在や、マツの根と共生する菌根菌のはたらきにも改めて注目したい。わたしたちの海岸林再生のための活動が、そこに生きるものの“復興への力”となるように願う。被災地は間もなく四年目の春を迎える。

<海岸林再生の経緯> 
平成16年6月、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の海岸林火災焼失地にクロマツをはじめとする樹木の苗1300本が植えられた。被災地区の周辺に住む住民が行政に働きかけて実現した市民・学校・行政の連携による新しい海岸林再生事業のスタートである。宮城県仙台地方振興事務所林業振興部の指導の下、名取市内の小中学校と名取ハマボウフウの会を核とする地域住民が、「環境学習林創造モデル事業」と銘打った県の事業の運営主体として組織された。現地には、閖上の海岸林に因んで“ゆりりん”の愛称が付き、ゆりりんの森では森林整備作業と森の教室がシーズン毎に開催された。そこでは、宮城県林業技術総合センターのショウロの試験栽培も行われ、子実体の発生も確認された。栽培試験地を定期的にパトロールしてショウロの発生状況を確認しそれを報告する作業は地域内の老人クラブが受け持った。“成果物は地域のものとする”という条件付きのその作業は高齢者を喜ばせ、積極的に海岸に足を運ばせるひとつの要因ともなった。海浜植物のハマボウフウと共に、ショウロはマツとの共生関係を保ちながら地域住民にも恩恵を与える、そのような存在であった。そして平成18年4月、「環境学習林創造モデル事業運営会議」は宮城県との話し合いの下発展的に解消され、それまでの事業は地域住民と学校の代表者で構成される新しい組織「ゆりりん愛護会」に引き継がれた。
全国にも例を見ない官学民連携による県内での海岸林再生モデル事業は順調に運んでいたが、平成23年3月、災害は予告なしにやって来た。「東日本大震災」により町はその姿を留めず、海岸も大きなダメージを受け、そしてゆりりん愛護会の仲間も七名が帰らぬ人となった。しかし、わたしたちは悲しみの時を超えて立ち上がった。

<活動の成果>
その年の秋、「白砂青松再生の会」(民間の任意団体)の呼びかけにより、壊滅状態になった海岸で生き残ったマツの球果を採取し、それを福知山市にある京都府立緑化センターに送った。白砂青松再生の会の代表・小川眞氏が提唱する“炭と菌根菌でマツを育成する手法”はこれまで各地の海岸で数々の成果を上げてきたが、その手法によって閖上海岸で生き残ったマツの種子が炭を入れた緑化センターの圃場に播かれ、ショウロの胞子液が散布された。そうして生まれたマツの苗凡そ5000本は、一年後には移植できるまでに成長した。平成25年4月、ふるさとに里帰りした苗は、白砂青松再生の会をはじめとする多くの市民ボランティアの手で名取市高舘地区の圃場に移植された。そのような時、被災地区住民が住む仮設団地の自治会長から「海浜植物の種子と苗を提供して欲しい」との要請があった。話に寄れば団地内の畑に海砂を入れ、そこに“ゆりあげ浜”を再現したいのだと言う。ゆりりん愛護会では閖上海岸で採取したハマボウフウの種子と高舘地区に移植したマツ苗、それに東北や北海道の種苗会社から提供していただいた十種類を超える海浜植物のポット苗をその年の9月、“海砂花壇”と名付けられた団地内の畑に運んだ。関係者はそれぞれの思いを抱きながら種を播き、苗を植えた。一方、“みどりのきずなプロジェクト”をスローガンとした東北森林管理局による「海岸防災林復旧事業」が平成25年春にスタートした。ゆりりん愛護会もその事業の参加団体の一員として仙台森林管理署と協定を結び、宮城県緑化推進委員会と市民ボランティアの支援の下、仙台市荒浜地区に整備された植林地にクロマツの苗1000本を植えた。緑化推進委員会から提供された五年生のマツ苗はほぼ100パーセントに近い確率で活着し、潮風を受けて元気に育っている。

<将来展望>
これからの海岸林再生活動は防災の目的だけでなく、被災地区住民のこころのケアやコミュニティの復活にも寄与するものでありたい。震災前の海岸で老若男女がひとつになって流した汗と海浜植物やショウロがもたらした恩恵を、これからの海岸林づくりにも活かさなければならない。わたしたちは、海岸に生きるものたちのふれあいと助け合いの精神を“地域の宝”として将来世代に伝えていきたいと思う。ゆりりん愛護会の活動は続く。わたしたちの活動は終わりのない、しかしそれは夢にあふれたものだ。

(平成26年2月 大橋 記)